ロマン溢れる人生を

人生のどの場面を切り取っても映画のワンシーンであるかのように生きたい

わたくしの考える夜という存在について

皆様、いかがお過ごしでしょうか。

 

本日も例に漏れず、喫茶店にてこちらしたためております。

本日の未明頃にYouTubeにて先日記事にもいたしました「アンチコメント」についてのお話を投稿致しましたので、お時間ある際に是非ご覧くださいませ。

youtu.be

 

本日もぼんやりと様々なことを考えております。

わたくし、ふと考えたことや思ったことをメモするようにしているのですが

先日メモ帳を見返していると、「月を見て過去の恋人たちを思い出す」という一文が残されていたのですよね。

 

文章通りの意味で月を眺めていると過去の恋人たちを思い出すのですよね。

 

わたくし、YouTubeの動画等をご覧いただくと分かるかもしれませんが

お話をしている時間帯というのは夜が多いのですよね。

 

実際、日中も忙しなく行動している訳ではございますが、物思いにふける時間帯というのは夜がかなり多いです。

日中に比べますと夜は人々の動きが落ち着いていて、一日が終わる時間帯なので雑念というのが比較的少ないのですよね。

 

しかし、夜にも罠が仕掛けられているのですよね。

夜に考え事をしますと、日中に考え事をするよりも幾ばくか不安が募るのですよね。

 

自身の感情に直接的に関係のない考え事でしたら夜という時間帯が最適ですが、

失恋だとか人生についての考え事となると、夜というのは若干よろしくない方向へと誘う傾向があるのですよね。

 

それでも、わたくしは夜に考え事をすることが好きです。

夜にこの世界を悲観して泣いても、苦しいとひとりで呟いても、夜がわたくしに寄り添ってくれることは無いです。

太陽のように真っ直ぐ「生きよう」と提案をしてくることは無いです。

 

ただ、それがわたくしにとっては心地が良いです。

夜という時間はわたくしを苦しませることもありますが、変に「頑張れ」だとかそのようなことを押し付けてはこないので。

 

人生の遣る瀬無さを目の当たりにさせてくるのですが、それらに目を向けずして生きていくことは愚かなので、痛みを伴ったとしても、そんな人生を教えてくれる夜が好きです。

 

苦しみや悲しみを教えてはくれず、眩しい道だけを照らし続けられるよりも断然よろしいのではないかなと思います。

 

苦しみや悲しみを覚えないというのに越すものはありません。

ただ、それは世界中の誰しもが苦しみや悲しみを覚えなかった場合だけです。

 

自身だけが苦しみや悲しみを覚えないというのであればそれは危険なことなのです。

「苦しみや悲しみを知っているから他人に寄り添える」とは本当にその通りです。

 

この世で苦しい思いや悲しい思いをしている人間がひとりでもいるのであれば

悲しみや苦しみを拒絶して生きるということはよろしくないと思われます。

 

辛い思いをしている人間に心から寄り添うには、自分自身がその苦しみや悲しみに共感することができなければならないとわたくしは思っています。

 

このように申し上げておりますが、誰しもが苦しみや悲しみを味わいたくないというのは充分に理解しておりますよ。わたくし自身も実際そうですから。

 

味わいたくはないけれども、拒絶はしないということなのですよ。

悲しみや苦しみのない人生なんて存在しないと断言したいほどです。

辛いことなんて無かったという人間が存在するでしょうか。

 

そのような人間が存在するとするならば、彼らは目を背けているだけです。

彼らは夜を知らない、若しくは夜が何たるかを分かっていない気がします。

 

兎に角、夜とは厄介な存在なのですよね。

わたくしたちが生きていく上で欠かせない存在でありながらも

わたくしたちに牙を向け、時には黙って、寄り添うことなく側にいるのです。

 

お話がとても脱線いたしましたが、そんな夜という世界で

かなり多くの時間を生きているわたくしは、よく月を眺めるのですよね。

 

月とは本当に魅力的で素敵なのですよね。

わたくしも月のような存在になりたいものです。

 

常に存在は感じられるものの、わたくしたちの目の前に現れない日もありますし、現れる度に姿かたちが全く同じだということはありませんし、どれだけ焦がれていたとしても手に入れることができないのですよね。

 

月を眺める度に、わたくしは心から感動いたします。

月を眺めて涙する日も少なくないです。(可笑しいでしょう。)

 

心から感動したものをわたくしは誰かと共有したくなってしまうのですよね。

そこで「隣に彼がいてくれたら」と思うこともあります。

「月が美しい」と言葉にして誰かに伝えられるとは、どれほど幸せなことだったのかと痛いほど思い知らされるのです。

 

「彼らも月を眺めているだろうか」と考えることもありますね。

遠く離れていても「今日は月が大きいね」だとか「月が明るいね」と話しをしたことも過去にございます。

彼らに触れられなくても、同じ世界で同じ時間軸を生きているということを教えてくれる月が大好きでした。

 

そんな過去を振り返ってしまうから、普遍的に存在している月に対して

涙を流しながら「今日も月が綺麗だ」と笑ってしまうこともあります。

 

月を見て過去の恋人を思い出すとはこういったことでございます。

 

わたくし、これからも月を眺め続けると思います。

皆様も月を眺めたときに「コイツも月見てるんだろうな」と思って頂けたら、どこかで皆様と繋がっていられる気がして嬉しく思います。

 

こちらのお話も後日YouTubeの動画にてお話しようと思います。

 

では、皆様、またお会いいたしましょう。