ロマン溢れる人生を

人生のどの場面を切り取っても映画のワンシーンであるかのように生きたい

十年間、ある数字に囚われているお話

皆様、いかがお過ごしでしょうか。

 

本日は少々お時間がございますので、記事を二つほどしたためてみようと思っております。

 

これからお話することは本当にどうでもいいお話なのですよね。

皆様のお時間を無駄にしてしまう気しかしておりませんので、本当に時間を持て余している方だけご覧いただくことをお勧めいたします。

 

早速お話いたしますが、日常生活の中でやけに目が留まる数字が皆様はございますでしょうか。

 

わたくし、十年程前からかなり気を取られる数字がございまして、

その数字は「137」という数字なのですよね。

 

本当にこの数字に取り憑かれているように思います。

 

街中で自動車のナンバーをふと目にすれば「・137」

深夜に時刻を確認すると「1:37」

楽譜の練習番号を見れば「137」番

宇宙年齢についての本を見れば「137」億年(現在は異なるようですが)

何かの個数を数えていても「137」個

道路番号を見ていても「137」号

電話の通話時間も「1:37」

 

本当に恐怖を覚えるレベルでこちらの数字に気が留まりますし

生活の中で頻繁に目にする数字でございます。

 

こちらの数字が気になりすぎて、実際にネットで調べたこともあるのですが

記事が「天才物理学者も取り憑かれた謎の数字」というように

多くの人間がこの数字に囚われているのではないかと考えています。

 

このお話に終着点はないのですが、本当に気になってしまうのですよね。

 

わたくし、あまりにもこの数字に取り憑かれ過ぎていて、前世は「天才物理学者だったのではないか」と馬鹿らしいことを考えているほどです(笑)

 

この数字をよく目にして、気が留まるだけではなくて、この「137」という数字に異常なほどの魅力を感じるのですよね。

 

「137」という数字を調べていると、スピリチュアル的なものも出てきますが、

わたくしはその類のものをあまり心から飲み込めるタイプの人間ではないので、「そうか…」という程度ではございます。

 

皆様もやけに気が留まる数字なんてありますでしょうか。

 

わたくし、こちらのお話をどうしてもしたかったのですよね(笑)

こんな風に何かに囚われているのは自分だけではないと思いたくて…。

 

こんな阿呆らしいお話ですが、後日YouTubeでも真剣な顔をしてお話したいです(笑)

 

お付き合いいただいてありがとうございます。

 

皆様、良い週末をお過ごしくださいませ。

またお会いいたしましょう。

二度目の失恋と新たな出逢い

皆様、いかがお過ごしでしょうか。

 

YouTubeのチャンネル登録をしてくださってる方が1,000名を越えられましたね。

こんなにも早く沢山の方々に見つけていただけると思っておりませんでしたので、本当に驚いております。

 

皆様がお力添えいただいたおかげです。心から感謝と愛をお伝えしたいです。

本当にありがとうございます。

 

わたくし、時間を創ることが苦手でして、自分の気の赴くままに生きております。

最近はアルバイトや友人、新たに出会う方々と素敵な時間を過ごしておりますね。

 

以前YouTubeの動画でお話しましたが、わたくし失恋しているのですよね。

youtu.be

 

失恋してから、実に4カ月ほど経とうとしておりますが、毎日涙に溺れて人生に嫌気がさしておりました。

 

しかし、つい先日、実質二度目の失恋をしたのですよね。

その二度目の失恋で完全に彼に対する執着というものが失われてしまいました。

失恋ですから、悲しいことではあるのですが、区切りを着け、前を向ける良いキッカケだったと感謝しています。

 

わたくしでは知り得なかった彼の一面を見つけてしまいまして、わたくしは本当に勝手な女だと深く思います。

勝手に期待して、彼に対して理想像を押し付けて、欠ける部分が目についてしまえば勝手に失望して。

 

しかし、人間が期待しないことなんて可能なのでしょうか。以前からこちらは申し上げておりますが、期待しないとは本当に難しいのですよ。

 

期待しないことが可能であれば、人は悲しむことも怒ることも無くなってしまうと考えております。期待するからこそ人は人でいられると思いますね。

 

彼のしていることに対して何らかの思うことがあれど、彼は彼で何か考えがあるのだろうと思うようにして、わたくしは「今までありがとう」「本当に心から愛していた」という旨のメッセージで、彼との連絡を最後にしました。

 

執着する気持ちが失われたとしても、彼との思い出に対しては思うことが沢山あるので、文字を綴る指先は震えておりましたし、涙が止まりませんでした。

 

しかし、彼にこれまでの感謝と愛を最後に告げた日から、驚くほど前向きに生きられているのですよね。

 

積極的に新たな出逢いを受け入れるようになりましたし、そこでも本当に素敵な方ばかりに出逢います。出逢った方たちは皆様、わたくしの夢を真剣に応援してくださって、素敵な意見やお話を聞かせてくださりました。

 

街中でふとお買い物をしているときにだって素敵な出逢いは沢山あります。

本屋の店主のおじ様と仲良くなってみたり、喫茶店のご主人と他愛もない会話をしてお菓子を頂いたり、歩いているおば様に「綺麗な靴ね」と声をかけられたり、ご飯屋さんのお兄さんと地元の話で盛り上がったり。

 

素敵な世界だと感じます。

 

自分から動き出せばいくらでも新たな出逢いがあることにも気づかされました。

 

これまでは彼に対して執着していたので「彼しかいない」と思っておりました。

当然のことですよね。彼以外を知らないのですから。

 

YouTubeでもこちらのお話はいたしました。

「『彼しかいない』と思ってしまうけれど、そんなことないのも分かっている」と。

 

理解していてもその時はそう思えないのですよね。

しかし、今は前向きに生きて新たな出逢いを受け入れようという気持ちが大きくあるので、「彼以外を知る」ことを大切にしています。

 

本当に執着を辞めてから、恋愛に限らずとも素敵な出逢いが沢山ありました。

自分の視野が如何に狭かったかを痛感させられましたね。

 

わたくし、本当に愛に生きていて、愛がないと生きていけないのですよね。

その愛が誰からでもよいという訳では全くございませんよ。

嫌な女ではございますが、自分の直感と経験と脳に従って人を選んでおります。

 

その中で、最近素敵な方にお会いしたのですよね。

 

先日もその方とお話をしている中で

「男は教育するものだからね」「最初から最高の奴なんていないよ」

ということを彼は言っておりました。

 

男というものに限らず、全ての人々がそうかもしれないと共感しました。

言い方は少々可笑しくなりますが、実際、以前お付き合いしていた方にわたくしは「教育」されていた、つまり「その方の色に完全に染まっていた」のですよね。

 

彼の好きなことがわたくしの好きなことでしたし、新たな世界を見せて、そこに引きずり込んだのも彼でした。

 

一度その世界での楽しさや快感を覚えてしまうと、中々忘れられないですし、抜け出すことができないのですよね。

 

今振り返れば、以前お付き合いしていた彼との生活をわたくしも純粋に心から楽しんでいましたが、わたくし主体で何かをしてみるということは少なかったかもしれません。

わたくしは完全に彼の色に染められていたのですよね。

 

しかし、それを悪いことだとは一切思っておりません。本当に純粋に彼との生活を楽しんでおりましたし、心から幸せでした。

新たな世界を見せてくれた彼には今でも感謝しております。

 

先日お会いした彼からの「教育しないと」という一言で様々なことを考えましたね。

 

実際に、その彼にわたくしの世界観を共有したところ、非常に興味を持ってくださって、「この人しかいない」なんてことは無いんだと心から思いました。

 

失恋を埋めるのは新たな恋というのは使い古された言葉ではありますが、本当にその通りだとわたくしは以前から思っております。

 

失恋して間もないとそう思えないことも理解しておりますし、わたくしも同じです。

「彼しかいない」と思うのも当然のことです。彼しか知らないのですから。

 

新たな出逢いに億劫になることも分かります。またこの恋が終わってしまったらどうしよう。わたくしも深くそう思います。なるべく傷つきたくはないです。

 

しかし、止まっていても仕方がないのですよね。立ち止まって泣いているよりも少しでも前に進んで、その先で泣いている方が圧倒的によろしいです。

 

先日まで地団駄を踏んでおりましたが、すこしでも前に進めているのではないかなと最近では思えております。

 

わたくしも平々凡々な21歳のクソガキ大学生なので、皆様と恋のお話がしたいのですよ。

 

取り留めもなくお話しておりますが、要約すると「気になる人ができたかも」ということですよね。

 

お恥ずかしい限りではございますが、申し上げておきたいのは、わたくし、安くはないので手に入れることは難しいです。

簡単に愛嬌を見せて、誰にでも付いていくということは一切ございません。

 

そんな嫌な女なのですが、わたくしが期待してしまうほど、素敵な方に出逢ったということでございます。

 

恋するって素敵なことです。

 

皆様にわたくしの全てをさらけ出すつもりはございませんが、皆様とは沢山のことを共有したいと思っております。

家族や友人にもお話していないことをYouTubeやこちらでも沢山語っております。

 

皆様のことを心から愛しているので、わたくしの思っていることや考えていることや現状をお伝えしたいのですよね。

加えて、わたくしは独占欲が強いので厄介なのですよね。

 

なので、わたくしの恋路も皆様とは友人のような感覚でお話したいのですよね。

 

わたくし、面倒な女なのですが、呆れずにお付き合いいただけると嬉しく思います。

 

取り留めもないお話にお付き合いいただいて感謝いたします。

皆様、いつもありがとうございます。

心から愛を込めて感謝を申し上げます。

 

では、またお会いいたしましょう。

わたくしの考える夜という存在について

皆様、いかがお過ごしでしょうか。

 

本日も例に漏れず、喫茶店にてこちらしたためております。

本日の未明頃にYouTubeにて先日記事にもいたしました「アンチコメント」についてのお話を投稿致しましたので、お時間ある際に是非ご覧くださいませ。

youtu.be

 

本日もぼんやりと様々なことを考えております。

わたくし、ふと考えたことや思ったことをメモするようにしているのですが

先日メモ帳を見返していると、「月を見て過去の恋人たちを思い出す」という一文が残されていたのですよね。

 

文章通りの意味で月を眺めていると過去の恋人たちを思い出すのですよね。

 

わたくし、YouTubeの動画等をご覧いただくと分かるかもしれませんが

お話をしている時間帯というのは夜が多いのですよね。

 

実際、日中も忙しなく行動している訳ではございますが、物思いにふける時間帯というのは夜がかなり多いです。

日中に比べますと夜は人々の動きが落ち着いていて、一日が終わる時間帯なので雑念というのが比較的少ないのですよね。

 

しかし、夜にも罠が仕掛けられているのですよね。

夜に考え事をしますと、日中に考え事をするよりも幾ばくか不安が募るのですよね。

 

自身の感情に直接的に関係のない考え事でしたら夜という時間帯が最適ですが、

失恋だとか人生についての考え事となると、夜というのは若干よろしくない方向へと誘う傾向があるのですよね。

 

それでも、わたくしは夜に考え事をすることが好きです。

夜にこの世界を悲観して泣いても、苦しいとひとりで呟いても、夜がわたくしに寄り添ってくれることは無いです。

太陽のように真っ直ぐ「生きよう」と提案をしてくることは無いです。

 

ただ、それがわたくしにとっては心地が良いです。

夜という時間はわたくしを苦しませることもありますが、変に「頑張れ」だとかそのようなことを押し付けてはこないので。

 

人生の遣る瀬無さを目の当たりにさせてくるのですが、それらに目を向けずして生きていくことは愚かなので、痛みを伴ったとしても、そんな人生を教えてくれる夜が好きです。

 

苦しみや悲しみを教えてはくれず、眩しい道だけを照らし続けられるよりも断然よろしいのではないかなと思います。

 

苦しみや悲しみを覚えないというのに越すものはありません。

ただ、それは世界中の誰しもが苦しみや悲しみを覚えなかった場合だけです。

 

自身だけが苦しみや悲しみを覚えないというのであればそれは危険なことなのです。

「苦しみや悲しみを知っているから他人に寄り添える」とは本当にその通りです。

 

この世で苦しい思いや悲しい思いをしている人間がひとりでもいるのであれば

悲しみや苦しみを拒絶して生きるということはよろしくないと思われます。

 

辛い思いをしている人間に心から寄り添うには、自分自身がその苦しみや悲しみに共感することができなければならないとわたくしは思っています。

 

このように申し上げておりますが、誰しもが苦しみや悲しみを味わいたくないというのは充分に理解しておりますよ。わたくし自身も実際そうですから。

 

味わいたくはないけれども、拒絶はしないということなのですよ。

悲しみや苦しみのない人生なんて存在しないと断言したいほどです。

辛いことなんて無かったという人間が存在するでしょうか。

 

そのような人間が存在するとするならば、彼らは目を背けているだけです。

彼らは夜を知らない、若しくは夜が何たるかを分かっていない気がします。

 

兎に角、夜とは厄介な存在なのですよね。

わたくしたちが生きていく上で欠かせない存在でありながらも

わたくしたちに牙を向け、時には黙って、寄り添うことなく側にいるのです。

 

お話がとても脱線いたしましたが、そんな夜という世界で

かなり多くの時間を生きているわたくしは、よく月を眺めるのですよね。

 

月とは本当に魅力的で素敵なのですよね。

わたくしも月のような存在になりたいものです。

 

常に存在は感じられるものの、わたくしたちの目の前に現れない日もありますし、現れる度に姿かたちが全く同じだということはありませんし、どれだけ焦がれていたとしても手に入れることができないのですよね。

 

月を眺める度に、わたくしは心から感動いたします。

月を眺めて涙する日も少なくないです。(可笑しいでしょう。)

 

心から感動したものをわたくしは誰かと共有したくなってしまうのですよね。

そこで「隣に彼がいてくれたら」と思うこともあります。

「月が美しい」と言葉にして誰かに伝えられるとは、どれほど幸せなことだったのかと痛いほど思い知らされるのです。

 

「彼らも月を眺めているだろうか」と考えることもありますね。

遠く離れていても「今日は月が大きいね」だとか「月が明るいね」と話しをしたことも過去にございます。

彼らに触れられなくても、同じ世界で同じ時間軸を生きているということを教えてくれる月が大好きでした。

 

そんな過去を振り返ってしまうから、普遍的に存在している月に対して

涙を流しながら「今日も月が綺麗だ」と笑ってしまうこともあります。

 

月を見て過去の恋人を思い出すとはこういったことでございます。

 

わたくし、これからも月を眺め続けると思います。

皆様も月を眺めたときに「コイツも月見てるんだろうな」と思って頂けたら、どこかで皆様と繋がっていられる気がして嬉しく思います。

 

こちらのお話も後日YouTubeの動画にてお話しようと思います。

 

では、皆様、またお会いいたしましょう。

アンチコメントは自身の愚かさを露呈させる

皆様、いかがお過ごしでしょうか。

本日はアルバイトの後に喫茶店へ足を運んでおります。

こうして記事を書いていなかった間に、YouTubeのチャンネル登録者様が600名を越えられまして。感慨無量でございますね。

皆様に心より愛を込めて感謝申し上げます。

 

最新の動画では煙草についてお話しておりますので是非お暇ある際に片手間でご覧くださいませ。

youtu.be

 

わたくし、先日も銭湯へ行って参りました。

その帰りにドライブがてら「アンチコメント」に関してのお話をしたのですよね。

そちらの動画は後日YouTubeにて投稿させていただこうと思っておりますが

こちらでも文字としてしたためさせていただきたいです。

 

わたくし、アンチコメントをする方のお気持ちについては理解できかねます。

アンチコメントとは特にYouTubeや様々なSNSにおいてよく見られますよね。

 

このインターネットという世界では自身の好むものや興味のあるコンテンツというのを取捨選択して鑑賞することができるのですよね。

そんな自由で居心地の良い空間であるはずの場所で、自ら苦手なコンテンツだとか、好まない世界へ飛び込んで、そこに足跡を残していくという行為がよく分からないのですよね。

 

謂わば、ビュッフェへ行って自身の嫌いな物ばかりを口にするということですよ。

 

アンチコメントに限らず、日常生活の中でもこのような人間って蔓延っていますよね。

赤の他人である店員さんに横着、横柄な態度を取ってみたりだとか、不躾に物事を言ってみたりだとか。

 

よくある考え方ではございますが、そのような方たちを目前にしたときに「可哀想だ」「人生において良いことがないのだろうな」という考えにはわたくしも同意でございます。

 

他人に対して角を立てていないと気が済まないのでしょうね。

自分の中にある何らかの窪みというのを、他人の上に立つことで得られる優越感で埋めているのだろうなと思います。

そこで得られる優越感なんて持続的なものではございませんし、本当にちっぽけでしょうもないと思うのですが、そのように刹那的な快感だったとしても、彼らにとっては憂さ晴らしになるのでしょうね。

 

彼らは自分の中にある窪みの根本的な原因を知ろうともしないですし、解決しようとは思わないのですよ。自分のことなんて見ていないのですよね。

自分自身を顧みることがないから、己の行いについて何の疑問を持たないのでしょう。

他者から見てその言動が異常だったとしても、彼らは気づけないのです。

 

それってすごく辛いと思うのですよね。

 

基本的に誰しもが、そのような方とはなるべく関わりを持ちたくないと思うのですよね。誰にも指摘されないままひとり歩きとは虚しいものです。

「誰にも指摘してもらえなかったんだ」という考えに至るから、そのような方を見ると可哀想だなと思うのですよね。

 

しかし、そのような方たちってそもそも聞く耳を持っていないのですよ。

何の考えも無しに脊髄反射のレベルで言葉を口にして、文字を書き込んでいるのだと思います。

 

逆に、きっちりと頭で冷静に考えてアンチコメントを書いていたりだとか、他人に対して誹謗中傷、暴言などの不躾なことを言う方がいるのだとしたら、狂気です。

理性がある人間がそのような行動をするとは思えません。

 

理性さえ保てていれば、その行動が何の意味も持たないことや、自分の価値を下げているということに気付けるはずです。

 

本当に自分の価値を下げているのですよ。

 

アンチコメントというのは批判や反対意見とは異なるのですよね。

本当に的を得ていないですし、明らかに様子がおかしいのですよ。

 

的を得ていないお話をされると本当に疲れると思いませんか。

そのような的を得ていないコメントだとか言動に対してひとつひとつ返答したりだとかしていると、話というのがどんどん飛躍して、必ずよろしくない方向に進むのですよね。

 

的を得ていない話をわざわざ足跡として残していくというのは

自らのガキっぽいところやアホみたいなところを露呈させていることになるのですよね。そこに気づけないというのも愚かで目も当てられないとわたくしは思ってしまいます。

 

ですから、わたくしはそのようなコメントをいただいたりした場合は、そっとしておく、若しくは非表示なり削除なりしようと思っております。

純粋にわたくしは傷つきたくないですし、不快な思いをしたくないので目にも入れたくないのですよね。

それに、その方がいつまでもネットの世界で宙ぶらりんになっていることが可哀想だと思いますので。

自身の愚かさに気づかずにネットに晒され続けるとは恥ずかしいものです。

ですから、わたくしが的を得ていない発言だとかアンチコメントを非表示にするだとか削除するだとか、そういう行為はわたくしなりの優しさでございます。

 

わたくし、非常にシニカルでしょう。

嫌な女だと自分でも理解しております。

 

ネットの世界で発言をする以上、アンチコメントだとかそういう類のものは避けられないことも理解しております。理解していたとしても、人を傷つける行動をしている方が異常だとわたくしは思っております。

 

YouTubeという自分にとって居心地の良い空間を創り上げられる世界で、わざわざ不快な思いをしに行く意味が分からないですからね。

 

わたくし、再三申し上げておりますが非常に我儘でしょう。

 

わたくしは自分の居心地の良い空間で生きていたいのですよね。

わたくしの中に波の無い平穏な泉があって、そこへ他人が石を投げ入れたとしても、その石をわざわざ取りに行って波をつくるようなことはしたくないです。

他人の投げた歪な形をした石は勝手に沈んでいればよいと思っておりますね。

 

わたくしも人間ですから、わたくし自身で泉に波を生み出すことはあると思いますが、そこはわたくしの泉ですから、わたくしにはその権利があるのですよ。

 

こうは申し上げておりますが、わたくしとは異なる考えや反対意見、批判というのを聞かないわけではございませんよ。

皆様の考えは思う存分共有していただきたいですし、反対意見というのにも非常に興味があります。知見を広く持ち、他人の意見に耳を傾けることは大切なことですし、皆様の考えや反対意見を聞いた上で様々な物事について再考したいとも思っております。

的を得た批判であれば、改善点やアドバイスとして真摯に受け止めたいとも思っております。

 

皆様がしっかりと考えた意見、批判というのはわたくしにとって本当に貴重なものなのですよ。人間ですから、皆様それぞれが異なる考えを持っているだなんて当たり前です。

 

わたくしは、自分では得ることのできなかった考えを是非とも共有していただきたいのです。

 

アンチコメントやその類のものを何故こんなにも嫌うのかというと、先ほども申し上げたように、それらは何の考えも無しに脊髄反射のレベルで文字や音になっているものだからです。

彼らの薄っぺらい辞書から無造作に取られた安くて醜い言葉は見聞きするに堪えません。

 

今回かなり鋭い言葉ばかり並べておりますが、本当に見苦しくて不快なのですよね。

(幸いにもわたくしはまだアンチコメントなるものを頂いておりませんが)

 

わたくしたちは皆、何らかの社会に属する人間という生物ですから理性を持っていなければならないのですよ。

欲望のままに、精髄反射のレベルで誹謗中傷や暴言を吐くようであれば、それは人間とは言えないのではないかとわたくしは思っております。

 

ネットの世界に潜り込んでいる以上、彼らだって物事の分別を弁えているべきなのですよね。分別がつかない人間というのはネットを使うべきではありませんね。

未成年にネットの使用を許可するのであれば、彼らを守る誰かしらの大人がしっかりと教育をするべきです。

 

ですから、アンチコメントやその類のことをする人間は、極論、ネットを使うことに向いておりません。インターネットという素晴らしい媒体が凶器になるのであれば、手にするべきはないです。

 

とは申し上げますが、そこの分別がつくようであれば、そもそもアンチコメントなんてしないのですよね。

 

これだけ語っておきながら、総括として言えるのは「難しい」の一言です。

まだまだお話しきれないほど思うことがあるので、そちらはYouTubeでお話しようと思います。

 

取り留めもなく、つらつらとお話して申し訳ございません。

アンチコメントなんて気にしている時点でわたくしもインターネットに向いていないのでしょうね。

ネットの世界で安らぎを求める方が若干馬鹿らしいとも感じることがございます。

 

世の中はますます複雑になってまいりますね。

 

では、皆様、またお会い致しましょう。

喫茶店で唐突に隣の女性に声をかける怖い大学生

皆様、いかがお過ごしでしょうか。

わたくしは本日も喫茶店へ足を運んでおります。

まるで定型文のようですわ。

 

本日は読書をしようと思い、バイト後にその足で喫茶店へ赴きました。

手にしておりますのは伊集院静の「一度きりの人生だから 大人の男の遊び方②」という一冊でございます。

 

昨日、ある本屋さんへ足を運び、そちらで購入いたしました。

店主のオジ様から「渋いねぇ~…」という声をいただきました。

「大人の男の嗜みでも学ぼうかと。ロマンを感じましたので。」とわたくしは返答いたしました。

 

昨日も本屋を後にして、喫茶店へ向かいました。

半分ほど読み進めましたが、非常に面白くロマンを感じる一冊でございます。

 

中古本ですから①とは出逢えず、②から読んでいるという次第でございます。

わたくし中古本が大好きです。

 

「わたくしの手元に来る前は一体どんな方が読まれていたのだろう」だとか

「大人の男の遊び方を身に着けたから、こちらの本を手放したのかな」だとか

あれこれ想像して、この世にわたくしと同じく「大人の男の遊び方」を習得したい方がいるのかと思うと、少しだけときめいてしまいます。

 

昨日、こちらの本を喫茶店で読んでおりますと、隣の席に若い女性二人が座られました。わたくし、喫茶店で周りの人々のお話を聞くことが大好きですので、ひっそりと本を読む傍らで会話を聞いておりました。

 

どうやら隣の女性、わたくしと然程年が変わらないようでした。

ひどく失恋している様子で、彼女の言葉すべてに私は共感しておりました。

 

まもなく閉店というところで、わたくしは席を立ち

彼女に声を掛けました。

 

「ごめんなさい、お話勝手に聞いていたのですが、わたくしも最近失恋してて、本当に辛いお気持ちよく分かります。明日も生きましょうね。」と。

 

わたくし、本当に彼女に寄り添いたいと思って

「明日も生きましょうね」だなんて言ってしまいました。

 

わたくしの思想をある程度ご存知の方からしたら、何の変哲もない言葉ですが

見ず知らずの人間に唐突に「明日も生きましょうね」と言われるなんて。

若干「言葉選びを間違えたかもしれない」とハッとしました。

 

彼女らはとても感じのよろしい方々でした。

「お話を聞いてて…」と申し訳なさそうに伝えると、大きく笑ってくれました。

「お互い頑張りましょうね~!」と慰めてくださってホッとしましたね。

 

更に「お姉さん、めちゃくちゃ可愛いですね。さっきからジロジロ見ちゃってて、ごめんなさい。」とお褒めの言葉まで頂けて、帰り道わたくしはニヤニヤしておりました。

 

改めて、喫茶店っていいなと感じましたね。

沢山の人々の人生を知れるよい場所だと思います。

そして、喫茶店での出来事がもう一つ。

 

茶店へ赴く前は地下鉄に揺られていたのですが

隣の席に座っていた男性が、わたくしより一時間あとに喫茶店に現れたのです。

 

「あっ…地下鉄の人だ」と思ったのをお互い顔を見て分かったと思います。

わたくしの席からよく見える場所に座られたので、何度も目が合ってしまい

面白くて仕方がありませんでした。

 

退店のタイミングも同じで、声を掛けようかと思ったのですが

流石に、わたくし怖すぎるかなと思ったので辞めました。

なんだか、いい空間ですよね。本当に喫茶店大好きです。

 

昨日は新たに本屋さんの店主のおじ様との出逢いもあって有意義でした。

新たな出逢いをしたり、勇気を出して声をかけてみたり、文学に触れたり。

幸せな一日でしたね。

 

本日も申し上げました通り、喫茶店におりますので

これからの時間はのんびりと珈琲と煙草を嗜もうと思います。

 

YouTubeで最近わたくしが気になったニュースについてお話しているので

お好みあるかとは思われますが、是非おいとまある際にご覧ください。

youtu.be

 

それでは皆様、ご機嫌よう。

愛に溺れていたいのです

皆様、いかがお過ごしでしょうか。

本日はバイト後に喫茶店で珈琲と煙草を嗜んでおります。

 

わたくし、お話したいことが沢山あると申し上げましたが

本当に沢山ありすぎて何からお話すればよいか迷っております。

 

先日の記事でもお話しましたが、YouTubeの方で

わたくしの失恋についてのお話をしました。

本日はそちらについてお話いたしましょうか。

youtu.be

 

わたくし、実は数カ月前に失恋しております。

失恋に慣れることは生涯を通してないと思われます。

 

YouTubeに投稿いたしました動画でもお話しておりますが

わたくしは恋をする度に「これで最後の恋にしよう」と思っております。

実際の所はそうもいかないのですがね。

 

「最後の恋にしよう」というのは

「この方とずっと一緒にいられたらな」ということです。

 

わたくし、終わりの訪れない恋がしたいです。

大切な人を失う悲しみや苦しみをこれ以上味わいたくないのです。

 

わたくしはこれまでにお付き合いしてきた方々を

本当に心から愛して大切にしてきました。

脇目も振らず、その方だけを見つめて生きておりました。

 

毎日、後悔の無いほど、彼らには沢山の愛情を注いで

心から「愛している」と伝えてきたつもりでした。

 

嫌な女だと思われるかもしれませんが

お別れした後でも、彼らに対しての恋愛感情は無いにしろ

彼らのことを本当に大切に思っております。

 

わたくしも何の変哲もない大学生ですので

お別れした後に強がって「あんな男なんて」と友人の前で

失恋を酒の肴にすることもありました。

 

しかし、本当に思っているわけではないのですよ。

友人の前では強がって「あんな男なんて」と言葉を漏らしますが

一度でも、深く愛していたのですよ。

小言を漏らすわたくしの目が潤んでいるのは確かです。

 

友人はわたくしを元気づけようと集い、話を聞いてくれるのです。

そんなところで涙を見せられる程、わたくしは失恋という事実を受け入れることができませんでした。

本当に脆い人間だと思います。

 

それぞれの方が、わたくしの人生を豊かにしてくれました。

ひとりひとりが異なる考えや生き方を持ち、わたくしにそれらを教示してくれました。

本当に有意義な時間を与えてくれたことに心から感謝しています。

 

いまでも人として彼らを大切に思い、感謝できること自体が

わたくしは素敵な恋をしていたのだと感じさせてくれます。

 

本当に素敵な恋を沢山してきました。

 

毎日、後悔の無いほど彼らを愛してきたつもりではおりましたが

わたくしは「別れる」ことを考えて生きていないので

その日が唐突に訪れたときは嫌でも後悔するのです。

 

「もっと彼の横顔を見ておけばよかった」

「もっと彼の髪に触れていればよかった」

「もっと強く抱きしめればよかった」

「もっと彼の声を愛おしく思えばよかった」

 

本当に沢山の「もっと…」という言葉が溢れます。

 

どれほど大切にして愛していたとしても

「後悔しないように」そう思っていたとしても

後悔なく生きるとは本当に難しいのです。

 

こちらの後悔ということついてはYouTubeに投稿しておりますこちらの動画で

前半から中盤にかけてお話しているので、ご興味のある方はおいとまある際、ぼんやりとご覧ください。

youtu.be

 

「終わりのない恋なんて本当に存在するのか」と疑ってしまうほど

彼らに期待していたのでしょうね。

 

それがわたくしのよろしくないところだと思います。

わたくしが彼らに向けている愛情と等しいものが彼らからわたくしにも与えられていると勘違いしていたのかもしれません。

 

ひとつの恋が終わる度に「期待しない方がよい」と強く思いますが

新たな出逢いをして、真っ直ぐに愛を伝えてくれる彼らに対して

「期待しない」と冷静に思える程、わたくしは出来た人間ではありませんでした。

 

だから「これで最後の恋にしよう」と思ってしまうのです。

 

非常に人間味あふれておりますよね。

期待してしまうのがわたくしのよろしくないところだと申し上げましたが

それでもよいと思えてしまいます。

 

人間は機械のようではいけないとわたくしは思っております。

感情という波があり、過ちだって繰り返してしまう。

それが人間なのです。それでよいのです。

 

他人に期待しないことが一番。

そんなことは分かっていますし、皆様もご存知でしょう。

格好をつけて、そう口にすることは簡単なのです。

 

ですが、本当に期待しないことなんて可能なのでしょうか。

人間誰しもが涙を流し、憤りを感じます。

それは何かしらの期待があって、その期待が損なわれたからではないですか。

 

涙を流さない、憤りを感じない。

そんな人間はいないのではないかとわたくしは思います。

いるのであれば、彼らは日々を「生きている」わけではないのです。

 

そうは思いますが「期待しない」とは、非常に便利な言葉なのですよ。

わたくしの口にもそのように申し上げた過去の感覚が残っております。

 

人間は常に整合性のあるものではないのです。

過去の発言が現在と矛盾することなんて当たり前のようにあるのです。

自分自身の軸を持つことは本当に大切なことです。

しかし、軸を持つことはまた別の話として、

常に同じことだけを繰り返すだなんてつまらないとわたくしは思います。

それこそ機械のようだとは思いませんか。

 

 

わたくし自身、自分の発言と行動を振り返り、その整合性を考えることがあります。

そこには矛盾ばかりなのです。必ず二つの気持ちが見えてきて葛藤します。

 

そこで、自己嫌悪に陥ることもありますし

二つの気持ちを天秤にかけることもあります。

 

モヤモヤするだとか、葛藤だとか、わたくしは本当にそれらが嫌いですが

「わたくしってちゃんと生きているな」と笑えてきます。

 

人に期待しないことが出来るのであれば、本当に人生楽だとは思います。

実際、それが出来ている人間もいるのかもしれません。

 

「期待することがよろしくない」とは申し上げましたが

実際には「期待しない」なんて不可能だと思っております。

どれほど「期待しない」と口にしたとしても

わたくしは「期待する」ことを辞められないと思います。

 

また新たな恋をすれば間違いなく期待してしまうと自身で分かっております。

分かっていたとしても、わたくしは「期待しない」だなんて軽々しく言える程の恋はしないと思います。

 

期待させてくれるような真っ直ぐで底の見えない深い愛が欲しいのです。

「期待しない」だなんて最初から足がつくような愛なんて求めておりません。

わたくしを溺れさせてくれるような愛が欲しいのです。

 

求めるとは期待するのと同じことではありませんか。

 

欲しがることっていけないことですか。

わたくし、本当に我儘で欲張りなのです。

皆様のことも独り占めしたいほど愛しております。

 

皆様がわたくしに対して恐怖を覚えてきたところで

終わりにいたしましょうか。

 

長々と取り留めのないことを申し上げました。

この記事をしたためる時間が、わたくしは自分自身と向き合えている気がして

大好きな時間です。

 

再三申し上げておりますが、これらは全て私の個人的な考えでございます。

わたくしとは異なる考えを持つ方が大勢いらっしゃることは承知です。

人生大して生きてもないクソガキなりの、ひとつの考えとして

ぼんやりと読んでいただくことをお勧めいたします。

 

お付き合いいただきありがとうございました。

バイトに追われている

皆様、いかがお過ごしでしょうか。

 

日にちがあいておりますね。

記事を書きたい思いは山々ではございます。

 

今月は有り得ないほどお仕事へ行っております。

驚異のシフトを組まれておりましてわたくしも頭を抱えております。

 

茶店でのんびりと記事を書いたり、

お散歩へ行ってYouTubeを撮ったり、

茶店開業に向けて様々な場所へ赴いたり、

 

そういった時間を取りたいのですが、中々時間を上手く使えておらず

疎かになっておりますね。非常によろしくないです。

 

記事を書くとなると、どうしても沢山書いてしまうのですよね。

 

そして、音として一瞬で消えず、文字媒体として長く残るので

記事を書いたり、動画を撮ったり等の行為はなるべく慎重になりたいのです。

 

ですから、時間をかけたいのですよね。

記事を書いていない言い訳のようにも思えますね。

 

「時間は作るものだ」間違いないです。

わたくしは少々甘えておりますね。

 

ただ、思いつめずに日々を過ごしたいので

わたくしは自分を最大限に甘やかします。

 

前回の記事でも申し上げましたように

わたくしはYouTubeの方に主に力を注いでおりますので

そちらの方をおいとまある際に観ていただけると嬉しく存じます。

 

www.youtube.com

 

今月中はかなりバタバタとしておりますが、何とか時間を作って

こちらにも皆様への愛をしたためたいと思っております。

 

お話したいことは本当に沢山ありますので

飽きずにわたくしのこと愛していただけると幸いでございます。

 

YouTubeにわたくしの失恋のお話についての動画を投稿いたしました。

こちらの記事でも後日じっくりとお話したいと思っております。

youtu.be

 

わたくしにしてはかなり手短にお話できましたね。

本日もお仕事入っておりまして、出勤までに動画の編集を終わらせたいので

皆様に沢山お話しができず、寂しく思いますが

本日は以上とさせていただきます。

 

皆様、本日も美しくありましょう。

心より愛を込めて申し上げます。