ロマン溢れる人生を

人生のどの場面を切り取っても映画のワンシーンであるかのように生きたい

愛に溺れていたいのです

皆様、いかがお過ごしでしょうか。

本日はバイト後に喫茶店で珈琲と煙草を嗜んでおります。

 

わたくし、お話したいことが沢山あると申し上げましたが

本当に沢山ありすぎて何からお話すればよいか迷っております。

 

先日の記事でもお話しましたが、YouTubeの方で

わたくしの失恋についてのお話をしました。

本日はそちらについてお話いたしましょうか。

youtu.be

 

わたくし、実は数カ月前に失恋しております。

失恋に慣れることは生涯を通してないと思われます。

 

YouTubeに投稿いたしました動画でもお話しておりますが

わたくしは恋をする度に「これで最後の恋にしよう」と思っております。

実際の所はそうもいかないのですがね。

 

「最後の恋にしよう」というのは

「この方とずっと一緒にいられたらな」ということです。

 

わたくし、終わりの訪れない恋がしたいです。

大切な人を失う悲しみや苦しみをこれ以上味わいたくないのです。

 

わたくしはこれまでにお付き合いしてきた方々を

本当に心から愛して大切にしてきました。

脇目も振らず、その方だけを見つめて生きておりました。

 

毎日、後悔の無いほど、彼らには沢山の愛情を注いで

心から「愛している」と伝えてきたつもりでした。

 

嫌な女だと思われるかもしれませんが

お別れした後でも、彼らに対しての恋愛感情は無いにしろ

彼らのことを本当に大切に思っております。

 

わたくしも何の変哲もない大学生ですので

お別れした後に強がって「あんな男なんて」と友人の前で

失恋を酒の肴にすることもありました。

 

しかし、本当に思っているわけではないのですよ。

友人の前では強がって「あんな男なんて」と言葉を漏らしますが

一度でも、深く愛していたのですよ。

小言を漏らすわたくしの目が潤んでいるのは確かです。

 

友人はわたくしを元気づけようと集い、話を聞いてくれるのです。

そんなところで涙を見せられる程、わたくしは失恋という事実を受け入れることができませんでした。

本当に脆い人間だと思います。

 

それぞれの方が、わたくしの人生を豊かにしてくれました。

ひとりひとりが異なる考えや生き方を持ち、わたくしにそれらを教示してくれました。

本当に有意義な時間を与えてくれたことに心から感謝しています。

 

いまでも人として彼らを大切に思い、感謝できること自体が

わたくしは素敵な恋をしていたのだと感じさせてくれます。

 

本当に素敵な恋を沢山してきました。

 

毎日、後悔の無いほど彼らを愛してきたつもりではおりましたが

わたくしは「別れる」ことを考えて生きていないので

その日が唐突に訪れたときは嫌でも後悔するのです。

 

「もっと彼の横顔を見ておけばよかった」

「もっと彼の髪に触れていればよかった」

「もっと強く抱きしめればよかった」

「もっと彼の声を愛おしく思えばよかった」

 

本当に沢山の「もっと…」という言葉が溢れます。

 

どれほど大切にして愛していたとしても

「後悔しないように」そう思っていたとしても

後悔なく生きるとは本当に難しいのです。

 

こちらの後悔ということついてはYouTubeに投稿しておりますこちらの動画で

前半から中盤にかけてお話しているので、ご興味のある方はおいとまある際、ぼんやりとご覧ください。

youtu.be

 

「終わりのない恋なんて本当に存在するのか」と疑ってしまうほど

彼らに期待していたのでしょうね。

 

それがわたくしのよろしくないところだと思います。

わたくしが彼らに向けている愛情と等しいものが彼らからわたくしにも与えられていると勘違いしていたのかもしれません。

 

ひとつの恋が終わる度に「期待しない方がよい」と強く思いますが

新たな出逢いをして、真っ直ぐに愛を伝えてくれる彼らに対して

「期待しない」と冷静に思える程、わたくしは出来た人間ではありませんでした。

 

だから「これで最後の恋にしよう」と思ってしまうのです。

 

非常に人間味あふれておりますよね。

期待してしまうのがわたくしのよろしくないところだと申し上げましたが

それでもよいと思えてしまいます。

 

人間は機械のようではいけないとわたくしは思っております。

感情という波があり、過ちだって繰り返してしまう。

それが人間なのです。それでよいのです。

 

他人に期待しないことが一番。

そんなことは分かっていますし、皆様もご存知でしょう。

格好をつけて、そう口にすることは簡単なのです。

 

ですが、本当に期待しないことなんて可能なのでしょうか。

人間誰しもが涙を流し、憤りを感じます。

それは何かしらの期待があって、その期待が損なわれたからではないですか。

 

涙を流さない、憤りを感じない。

そんな人間はいないのではないかとわたくしは思います。

いるのであれば、彼らは日々を「生きている」わけではないのです。

 

そうは思いますが「期待しない」とは、非常に便利な言葉なのですよ。

わたくしの口にもそのように申し上げた過去の感覚が残っております。

 

人間は常に整合性のあるものではないのです。

過去の発言が現在と矛盾することなんて当たり前のようにあるのです。

自分自身の軸を持つことは本当に大切なことです。

しかし、軸を持つことはまた別の話として、

常に同じことだけを繰り返すだなんてつまらないとわたくしは思います。

それこそ機械のようだとは思いませんか。

 

 

わたくし自身、自分の発言と行動を振り返り、その整合性を考えることがあります。

そこには矛盾ばかりなのです。必ず二つの気持ちが見えてきて葛藤します。

 

そこで、自己嫌悪に陥ることもありますし

二つの気持ちを天秤にかけることもあります。

 

モヤモヤするだとか、葛藤だとか、わたくしは本当にそれらが嫌いですが

「わたくしってちゃんと生きているな」と笑えてきます。

 

人に期待しないことが出来るのであれば、本当に人生楽だとは思います。

実際、それが出来ている人間もいるのかもしれません。

 

「期待することがよろしくない」とは申し上げましたが

実際には「期待しない」なんて不可能だと思っております。

どれほど「期待しない」と口にしたとしても

わたくしは「期待する」ことを辞められないと思います。

 

また新たな恋をすれば間違いなく期待してしまうと自身で分かっております。

分かっていたとしても、わたくしは「期待しない」だなんて軽々しく言える程の恋はしないと思います。

 

期待させてくれるような真っ直ぐで底の見えない深い愛が欲しいのです。

「期待しない」だなんて最初から足がつくような愛なんて求めておりません。

わたくしを溺れさせてくれるような愛が欲しいのです。

 

求めるとは期待するのと同じことではありませんか。

 

欲しがることっていけないことですか。

わたくし、本当に我儘で欲張りなのです。

皆様のことも独り占めしたいほど愛しております。

 

皆様がわたくしに対して恐怖を覚えてきたところで

終わりにいたしましょうか。

 

長々と取り留めのないことを申し上げました。

この記事をしたためる時間が、わたくしは自分自身と向き合えている気がして

大好きな時間です。

 

再三申し上げておりますが、これらは全て私の個人的な考えでございます。

わたくしとは異なる考えを持つ方が大勢いらっしゃることは承知です。

人生大して生きてもないクソガキなりの、ひとつの考えとして

ぼんやりと読んでいただくことをお勧めいたします。

 

お付き合いいただきありがとうございました。